奨励賞

藤原翔太 

『ブリュメール18日——革命家たちの恐怖と欲望』

慶應義塾大学出版会、2024

1986年、島根県出身。2016年トゥールーズ・ジャン・ジョレス大学博士課程修了。博士(歴史学)。福岡女子大学国際文理学部准教授などを経て、現在は広島大学大学院人間社会科学研究科准教授。『ブリュメール18日』(慶應義塾大学出版会、2024年)で第24回大佛次郎論壇賞を受賞。他の著書に、『ナポレオン時代の国家と社会』(刀水書房、2021年)、『ポピュリスト・ナポレオン』(角川新書、2025年)など。

受賞者の言葉

 この度は、歴史ある渋沢・クローデル賞奨励賞を賜り、大変光栄に存じます。選考委員の先生方をはじめ、関係者の皆様に心より御礼申し上げます。
 本書の主題は「ブリュメール18日」です。かの有名なカール・マルクスの著作『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』から、1851年にフランス大統領ルイ=ナポレオン・ボナパルトが起こしたクーデタを想起される方もおられるかもしれません。しかし、本書が扱うのは、その伯父ナポレオン・ボナパルトによる「ブリュメール18日のクーデタ」、すなわちマルクスが述べるところの「偉大な悲劇」の方です。
 「ブリュメール18日」は長らく、軍人であるナポレオンが権力欲に取り憑かれ、軍隊を率いて政権を転覆し、権力の座に就いた事件として理解されてきました。しかし、これは事実ではありません。そもそもクーデタの当日、軍隊が議会に対して行動を起こしたのは、議会議長の命令に基づくものであり、軍人や軍隊がこのクーデタの「主役」ではありませんでした。この事件はナポレオンの個人的な野心だけでは到底説明しきれないのです。
 では「ブリュメール18日」とは一体何だったのか。本書の独自性は、この出来事を、フランス革命の成果を守るべく、改憲派の革命家たちがナポレオンを担ぎ上げ、権力の座に引き上げた試みとして捉え直した点にあります。
 18世紀に台頭したブルジョワは、革命家として身分制度の廃止を推し進め、自らの富と能力に見合った地位の獲得を目指し、目標を実現するとすぐに保守化していきます。しかし、図らずも激化していく革命を収束させるために創設された総裁政府は、王党・ジャコバン両派の挟撃に遭い、安定には至りませんでした。そこで、より強力な政府の樹立を目指して、シィエスを中心にのちに「ブリュメール派」と呼ばれる改憲派グループが形成されます。そして、クーデタ計画がほぼ整った頃、ナポレオンが帰国し、合流して実行に移されました。すなわち、「ブリュメール18日」とは、既得権益の保持を目指す革命家たち自身によって遂行されたクーデタだったのです。その後、彼らは地方行政・選挙制度・司法等の改革を通じて、支配の強化を進めていきます。1804年に成立する世襲帝政はその帰結に他なりません。
 今後は、私の「主戦場」である地方に立ち戻り、改めてフランス革命からナポレオン体制に至る時代の変化を見通す研究に取り組む所存です。

選評

評者 澤田直(立教大学名誉教授)

 フランス革命の末期、1799年11月9日、共和暦の霧月(ブリュメール)18日に起こったために「ブリュメール18日」のクーデタと呼ばれる事件は、ナポレオン・ボナパルトが皇帝の座に着実に近づいた一歩として世に知られる。その前月にエジプト遠征から急遽帰国したナポレオンは、テルミドール9日のクーデタによって総裁政府の実権を握ったエマニュエル=ジョゼフ・シィエス、警察大臣フーシェらと謀り、元老議会におけるアナーキストの蜂起計画を口実に、兵士を議場に入れ、議会を解散させ、三人の統領による臨時政府として統領政府を樹立し、自ら第一統領となった。この事件は従来、権力欲に駆られた軍人ナポレオンが、同じく権力欲に駆られた政治家シィエスと組んで、政権奪取をするために引き起こしたという図式で語られることが多かった。
 本書はナポレオンの側からではなく、著者が「ブリュメール派」と名づける穏健共和派の革命家たちの観点からこの事件を読み直そうとする斬新な試みである。著者によれば、このクーデタは、ナポレオンの意志によって推進されたものではなく、彼に運命を託し、革命の理想と成果を守ろうとした政治集団によって主導された。野心家ナポレオン主導によるクーデタというイメージは、その半世紀後の1851年にナポレオン1世の甥ルイ=ナポレオンが起こしたクーデタと、その結果としての第二帝政によって成立したという。
 本書は5章を費やして、この仮説を証明することによって、革命期に誕生した民主主義の制御に失敗した革命家たちが、意に反して権威主義体制を形成するに至った経緯を明らかにするとともに、ナポレオン体制とフランス革命の関係についても再考を促すことを目指す。著者は資料を博捜して当時の行政や選挙システムを精緻に分析しつつ論を展開する。その手続きは優れて学術的であるが、他方、その語り口はたいへん軽やかで、一般読者であっても、当初シィエスのまわりに集った「ブリュメール派」の面々がボナパルトへとなびいていく過程をごく自然に追うことができる。
 審査委員からは、制度やシステムの記述や提示の緻密さに比べて、現象の分析や考察が平板に見えるといった指摘や、「ブリュメール派」に加わったイデオローグのカバニスなど思想家たちの言説への参照があれば、さらに立体的に描き出すことができたのではないかといった意見も出た。とはいえ、長期的な視野に基づき、きわめて説得的な議論が展開されるとともに、大きな歴史の岐路で翻弄される人びとの思惑や行動も活写されている点に本書の魅力はある。首尾一貫した形で問題を立て、ブリュメール18日のクーデタの実相に迫り、新たな知見をもたらしたことはまちがいがない。よって本書は奨励賞にふさわしいという結論となった。