本賞

貝原伴寛 

『猫を愛でる近代——啓蒙時代のペットとメディア』

名古屋大学出版会、2024

千葉県出身。東京大学教養学部卒業(2016年)、同大学院総合文化研究科修士課程修了(2018年)。フランス国立社会科学高等研究院(EHESS)歴史研究センター博士課程修了(2023年)。Docteur (histoire et civilisations)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2025年4月より早稲田大学文学学術院講師。専門は18世紀を中心とする近世フランス史。

受賞者の言葉

 栄えある渋沢・クローデル賞の本賞を賜り、光栄の至りです。審査員の先生方、関係者の皆様、ならびに私の研究活動にご支援をいただいた全ての方々に篤く御礼を申し上げます。
 私の応募作はフランス国立社会科学高等研究院に提出した博士論文を基にした著作です。内容は、18世紀フランスを舞台に、身近な動物である猫が、鼠狩り要員としての地位を離れ、愛玩動物として認知されるに至った過程を明らかにする、というもの。歴史学の学位論文の題材に猫を選ぶなど、突拍子もない選択に思われるかもしれません。私自身、猫を飼ったことがなく、どちらかといえば犬が好きなものですから、このような研究テーマに至るとは思いもよりませんでした。
 それでも猫愛玩の歴史を研究する気になったのは、ひとえに史料との出会いによります。私はフランス革命への興味から歴史研究に足を踏み入れ、18世紀という時代に魅了され、当初は演劇を手がかりに啓蒙時代の文化変容を捉えることを志していました。その演劇研究の過程で、モンクリフという人物が1727年に出版した『猫』という書物に出会ってしまったのです。世界で初めて猫を主題として論じ、初めて猫愛好家に向けて書かれたという稀代の問題作。いったいこの本は、どこから現れて、どのような影響を社会に及ぼしたのか。こうした問題関心を突き詰めた結果として生まれたのが、拙著『猫を愛でる近代』です。
 もちろん、猫に飛びついた当初は、どのような研究ができるものか皆目わからず、全くの暗中模索でした。ある種の賭けだったように思います。それでも勝負する気になったのは、勇気を与えてくれる人々に恵まれたからに他なりません。とりわけ、お産を切り口に18世紀フランスを探究なさった、東京大学での指導教員・長谷川まゆ帆先生、そしてルソーの著作を出発点に啓蒙期のメディア文化を分析する『セレブの誕生』を世に問われた、社会科学高等研究院の指導教員アントワーヌ・リルティ先生が、模範を示し、私を導いてくださいました。おふたりに格別の御礼を申し上げる次第です。
 猫愛玩の研究を通じて見えてきたのは、啓蒙思想と近代家族という二つのトピックを有機的に結びつける可能性です。猫が愛玩対象と見なされたことも、親密圏を無償の愛情の領域として再編する、当時の文化変容の一環であったと思われるからです。今後はこうした関心を育み、受賞者の名に恥じぬよう、更なる研究に邁進いたします。


選評

評者 川出良枝(放送大学教授)

 本書は、18世紀フランスを中心に、猫が害獣(ねずみ)対策の道具、食用動物、医療資源といった対象からペットとして愛玩される存在へと変貌を遂げた過程を「感情史」という方法論にもとづいて追跡する。この時期―歴史学では「近世」とくくられるおおむね15世紀末~18世紀末―のフランスにおける猫についての百科全書的とも言えるような豊かな見取り図となっている。フランス社会科学高等研究院に提出した博士論文をもとにした、ほぼ500ページに達する浩瀚な作品である。史料や文献を幅広く渉猟し、その博識ぶりに圧倒される。実証的な手続きや二次文献への目配りといった面においても実に堅実である。
 本書の際立った特色は、歴史学を基盤としつつ、文学、美術、科学といった関連する諸分野の知見を有機的に統合するアプローチの学際性にある。本論は、まず、文化史という豊かな領野を切り拓いたロバート・ダーントンの古典的論考「猫の大虐殺」への批判的検討から始まる。著者の問題関心の所在を研究史の中に巧みに位置づける心憎い導入である。その後、上述のような多分野にわたる豊かな題材が次々に展開する。ビュフォンら博物学者による猫の「半家畜」性をめぐる科学的論争に注目するかと思えば、ロココ美術における猫の描写の変容の過程を豊富な図版とともに綿密に分析する。17世紀後半のペローの有名な「長靴を履いた猫」をはじめとする猫をめぐる数々の寓話への目配りも怠りない。あわせて、あらたに掘り起こした手稿史料をもとに愛猫家がからんだ訴訟事件(今風にいえばペットをめぐる隣人トラブル)の経過を再現する。これだけ多くの題材を扱いながらも、その分析の質は、該当する分野の専門家をうならせる高い水準にある。
 また、副題にもあるように、猫に対する見方に大きな転換をもたらした重要な要因として、17世紀後半以降のメディアの発展に注目しているのも本書の特色である。猫を愛するという感情が、モンクリフの『猫』などの文学作品や雑誌にとりあげられることにより増幅し、そこに「愛猫共同体」と呼び得る空間が形成される。本書は、感情史とメディア論とを巧みに組み合わせることにも成功している。
 さらに特筆すべきことは、本書が専門的学術書として高い完成度を誇りながら、この分野に必ずしも精通していない日本の読者にとっても、実にわかりやすく、面白い作品であるという点である。初の著書にして非凡な筆力を感じさせ、今後の活躍が大いに期待される。欲張りな読者としては、扱われている時期以前やそれ以後の「猫」像はどうであったのか、猫以外の他の動物はどうであったのか、といった好奇心をそそられなくもない。とはいえ、本書がフランス啓蒙思想史研究の新たな可能性を示す卓越した成果であり、本賞受賞にふさわしい作品であることは疑いようがない。